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たらればって言葉がありますよね。
ニラレバ、じゃないですよ。 最近良く、もしあの時こうだったら ああしていればと妄想することが多くて(ってか昔からですが) 今日は特にモータースポーツについてちょっと書いてみようかと思います。 … まずはパルサーGTI-Rの話。 続き ↓ これは前にも書いたんですが このクルマは、とにかく致命的な問題が二つあって たったの2年で撤退してしまった悲劇のラリーマシンです。 まずインタークーラーの位置がエンジンの上にあることで 全然うまく冷却できずパワーが出ない上に、 エンジン内部の熱気をボンネットから上手く抜くことができなくて オーバーヒートを連発してしまいました。 また、ベースのクルマが小さかったために タイヤが収まるスペース=ホイールハウスがとても小さく 十分なサスペンションのストロークが確保できなかったわけです。 … どうしたら良かったのか、落書きをしながら考えてみました。 まず、ラジエーターの幅を20%ほど狭めて、その空いたところに 縦長のインタークーラーを設置する方式だとよかったんではないかと思います。 ランサーWRCやプジョー307WRCがやってた方式ですね。 これだと、ランエボのようなラジエーターの前にインタークーラーを置くよりも パイプ類の長さが短く出来るし、冷却効率も良いでしょう。 ラジエーターの面積が狭くなった分は、コアの厚みや数を増やしたり そもそもこの方式だと空気の抜けがいいので、問題なく対応できそうです。 次にリアのホイールハウスの大きさですが これはフェンダーを加工するしかありません。 とは言え、R32のGT-Rみたいに 綺麗なブリスターフェンダーを付けるのはコスト的に無理だったでしょうから ホイールハウス部分のスチールパネルだけ特注で大きくするか、手作業でぶった切って、 外装の部分はプラスチックのオーバーフェンダーをつけるのがベストだと思います。 ルノーがクリオスポールやメガーヌスポールでやってた手法ですな。 あとは多少の実用性は無視して 大きいリアウィングを付けて軽量フライホイールをつけて… ボンネットはコストカットのため、ノーマルにダクトつけただけのものに変更。 するとこんな感じかしら? 話を聞く限り、気温が低い時のパルサーのエンジンはとにかくパワフルだったようで この2つの欠点さえなんとかすれば かなり強力なラリーマシンになっていたでしょうし 日産のラリー活動も、あんなにあっけなく終わったりはしなかったんじゃないかと思います。 もしWRC参戦が続いてたら プジョー206ならぬ日産マーチWRCとかもあったのかなぁ。 … あとは、この2台にも「たられば」な想いをはせることがあります。 カローラWRCとアクセントWRC カローラの方は極めて初期にWRカー規定で設計されたマシンなので いくつもの欠点がありました。 欠点と言うよりも、レギュレーションをくそまじめに解釈しちゃった感があります。 ホイールハウスはちっちゃいからサスのストロークが短いし (横から見るとよく分かる。舗装なのに全然車高下げらんないのよね) 燃料タンクやらエンジン補機類やらの位置が悪くて重心高すぎるし回頭性も悪い。 インタークーラーの位置やエアダクトとかの空力設計が良くないので冷却効率も悪い。 ちなみに、このカローラWRCの開発スタッフが移籍して 作り上げたのが、後にWRC最強マシンと呼ばれる プジョー206WRCなのです。 比較すると、見事にカローラの弱点を潰しきっています。 WRカー規定を徹底的に有利に解釈した、第2世代WRカーの代表的なマシンです。 とはいえ、1999年で撤退したあとも 持ち前のエンジンのパワーを活かしてプライベーターが活躍していたし 現在のトップドライバーの多くが、このカローラで腕を磨いていたことからも ポテンシャル自体は極めて高かったことがわかります。 実は撤退してなければ、2000年に弱点だったホイールハウスの拡大や 重心や空力を大胆に改良したモデルが登場していたと言われています。 なんだかもったいないですね…。 … ああ、すっかり忘れてたヒュンダイ・アクセントWRC。 ベースは何の変哲もない、ただのチープなハッチバックだったんですが 参戦して2年目辺りには結構戦闘力が上がっていて 年間のポイントランキングでは三菱よりも上位につけてたりしました。 開発を担当していたイギリスのレーシングチームMSDが本当に優秀だったことや フレディ・ロイクス、ユハ・カンクネンといった 不運にも強豪チームのシートを得られなかった職人的な名ドライバーたちを揃えていたのがその理由でした。 しかし、2003年の終盤にはヒュンダイが突如、一方的に資金提供を停止したため 参戦を継続できなくなってしまい、欠場のペナルティとして100万ドルの罰金が課せられたのです。 その後、運営チームと世界自動車連盟との間で泥沼の法廷闘争に発展していったのは有名ですね。 (未だにこの罰金が支払われたかどうかは不明とのこと) 最悪ですね。 ちゃんと資金を提供して参戦を続けていれば 実はかなり有力なチームとなっていた可能性が高かったのですが…。 非常に残念です。 … 結局この3つのマシン、ってかメーカーが一番足りなかったのは 忍耐何じゃないかと思うんです。 パルサーは2年、カローラは3年、ヒュンダイは3年。 参戦から撤退まで、どれもすごい短いんですよね。 成績があまり良くなくても、コツコツ続けていくこと。 これが何より大事なことなんだろうなと思うんです。 モータースポーツであろうとなんであろうと、人間のやることはたいてい全部そうなんでしょうね。 … それを改めて思い知らされた出来事が 今シーズンから参戦を始めたフォルクスワーゲンが 参戦2戦目にしていきなり優勝しちゃったことでした。 とはいえこれは、フォルクスワーゲンだけの力で成し得たものではないんです。 その背景には、フォルクスワーゲンの子会社である チェコの小さな自動車メーカー、シュコダの存在があったわけです。 シュコダは、110年くらいまえに創業した自転車メーカーから始まった 老舗の自動車メーカーなのですが、2度の大戦やその後の冷戦によって ずいぶんと雌伏の時代を過ごしたかわいそうなメーカーでした。 それでも、こつこつ下位クラスでラリーへの参戦を続けて ついに1998年にはオクタビアWRCと言うマシンを開発して 最高峰のカテゴリーに参戦を始めるにいたりました。 それでも資金力も技術力もチップチームとは大きな差があって とにかく結果が振るわずバカにされたものですが、 それでも一生懸命しぶとく参戦を続けて 2001年のサファリでは初めての表彰台を獲得するに至りました。 その後はコンパクトなマシン・ファビアWRCを開発して 2004年の最終戦ではリタイアするまでコリン・マクレーが2位を走るという 熱い展開があったのが今でも記憶に残っています。 その後はトップカテゴリーからは一旦撤退し 下位クラスであるS2000に主戦場を移し 嬉しいことにこのクラスでは最強メーカーに君臨するにいたりました。 もう感動の物語ですね。 そして…このS2000クラス最強のマシン・ファビアWRCをベースに フォルクスワーゲンはマシンの開発とチームづくりを行い 現在のエースドライバー、セバスチャン・オジエが昨シーズン ファビアS2000を駆ってテスト的に参戦を続けたわけです。 (毎度トップカテゴリーのWRカーを食う速さを見せてましたね…) そして、それが今年の2月に フォルクスワーゲンの優勝という形で実を結んだんですよね。 おそらくですが、シュコダがこうやって地道に活動を続けていなかったら フォルクスワーゲンもWRCに参戦してはいなかったでしょうね。 そう思うと、あのとにかく弱かったシュコダが いまは親会社のフォルクスワーゲンに名前を変えて 大活躍しているというのは、本当に感涙を禁じえません。 … 話が長くなっちゃいましたが とにかく、結果が出ることを信じてコツコツと 何か一つのことに取り組むことって、本当に素敵だし大事なことなんだなと 改めて思ったわけです。 最初は下手くそで、周りからバカにされても とにかく愚直にやりつづけること。 中々簡単にできることじゃないですが、だからこそ価値があるんでしょうね。 そうすればきっと、後から あの時ああしてたら、こうしてれば、 みたいな「たられば」をいう必要も無いのでしょう。 このシュコダをはじめ ネット上で活躍している絵師さんや動画製作者さんたちのような クリエイターさんもそうですし、 とにかく最近、コツコツ続ける人たちがとてもすごいなーと、眩しいなぁと感じることが多いです。 それは多分、自分に一番足りないこと。 「努力」と「継続」…これを持ち続けているからなんだと思います。 なかなか難しいのはわかっているのですが それでも少しずつ、最初は下手くそでもいいから なにかをコツコツ続けてみたいと思いました。 「たられば」の無い人生を歩みたいですからね。 今日はこんなところで。
by hiwai-rs
| 2013-02-20 02:16
| 日記
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