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今日も昼に起きて、何もせずすごしてしまいました…。
まぁ、ようやく見つけた安売りスーパーでまた食材を買い足し 安売りだからと調子に乗って、結構買い過ぎちゃいました。 そしてまた、映像製作には手がつかず… そんなゴミクズな僕に出来るのはひとつ。 妄想することだけです。 今日のイラストはジムニー全塗装計画と 自分の考える世界最高のタクシーです。 東京に来て改めて思うのがタクシーの多さなんですが 札幌の駅前とかすすきのの状況が23区では延々と続いていて圧巻です。 しかしまぁ、タクシーの列を見てるといつもおもうのが なんてタクシーっていうのは非合理的な形をしてるんだろうかってことですね。 みんなFRセダンで室内狭いし、トランクはでかすぎるし、しかもダサイ。 FRをやめてもっと背を高くすれば室内は広くなるし トランクをなくせばもっと渋滞は減るだろうに。 たとえばダイハツのタントを普通車にしたようなデザインならいいのに と常々思うんです。 ただFFだと整備しづらいし(とくにクラッチ替えにくい&シャフトブーツ) ハンドルの切れ角が大きく取れないので、リアエンジンかミッドシップにする。 運転席と後部座席の間には巨大な空間ができてリムジン的だし 緊急時(東北大震災の時はタクシーの奪い合いになったらしい)のために 折りたたみのシートを運転席の後ろに設置して、普段は荷物スペースに。 そんな超スペース効率のいいタクシーを作れば、日本だけでなく 世界中でバカ売れして、目のくらむほどの利益を生むことでしょう。 そんなことを思いながら、色々調べてみると とっくに同じようなことを考えている人が世界にはいることがわかりました。 まず、ロンドンタクシーは背が高いので中は広々してるし ちゃんと運転席後ろに補助シートが付いてました。 また、ニューヨークの名物タクシー =イエローキャブが一気に車両入替を行うことが決まり フォード、日産、そしてトルコのカルサンの3社がコンペの最終選考にのこり 最終的に日産のバネットバンが選ばれたそうです→記事 興味深いのが、選考に残ったのが3社ともトールワゴンベースで 一台もセダンがなかったこと。もともとそういう募集条件だったのかもしれませんけど。 ニューヨークの黄色いタクシーといえば、パトカーと同じ、 馬鹿でかいクラウンビクトリアというイメージがあったのですが、ものすごい意外です。 そんなわけで、パトカーと共に、美しい日本の町並みをぶち壊している ダサいクラウンコンフォートを使うのをやめて 一刻も早く、もっと効率的なタクシー専用車が生まれることを心から祈っています。 しかし…そもそも効率的なタクシーというのを考えれば 電気自動車で、しかも運転手のいないAIとGPSで動く、勝手に自分で充電スタンドに戻る 全自動掃除機のルンバみたいなのが、もっとも効率的と言えるのかもしれません。 で、それをiphoneのアプリとかで全部好きなときに呼べるし 社会管理システムみたいなのと同期すれば無駄な客待ちもいなくなるので、 きっと格段に人間社会の効率が良くなるでしょう。 個人や小さな集団のために自在に動く、小さな電車やバスのようなタクシー。 もしこれが実用化されてどんどん広まれば 電車バスやレンタカーも無くなって、マイカーを持つ必要もなくなるかもしれませんね。 まさに60年代に人々が思い描いていた、万博のような未来は いよいよ近いような気がします。 理想的な社会主義国家 byゴーダカズンド しかし、もしタクシーが全自動化されたら タクシーの運ちゃんはどうなるんだろう。みんな無職になってしまうのか。 そういう 「あまりにも便利すぎる、効率が良すぎると職(と利権)がなくなって困る人がいっぱいいるので、 実用化出来ません」 みたいな事は今の社会に結構あるような気がする。 たとえば、本気でエコを考えたらペットボトルやアルミ缶は無くせばいいので 国民全員がマイボトルをもって、自動販売機では飲み物の中身だけ ガソリンスタンドのように売る、みたいなことも 結局容器メーカーが潰れちゃうので出来ません、みたいなね。 なんというか、どんどん便利に、人手がいらない世の中になっていくのに 相変わらず人は働かなきゃいけないから、もっと便利にしたくても便利にできなかったり やらなくてもいい仕事(特にサービス業がそうか)を無駄にがんばらなきゃいけなかったり (例えば某古本屋チェーンのやまびこ挨拶とか、意味不明なくじびきキャンペーンとか) 大量生産大量消費っていうのも、いいかげんやめていいんじゃないかと思ったり。 もう身の回りでもっと向上しなきゃいけないものって、パソコンとITの性能くらいじゃないのか? クルマも家も服も食事も生活用品も家電も、もうこれ以上性能アップする必要を感じないし そもそもこれ以上劇的に性能が上がるような気もしないし…。 パソコンはAsusかMacbookpro、ケータイはiphoneかHTCのEVO、 服はユニクロかイオン、クルマはハイエースとフィットとジムニー、 バイクはスーパーカブ、食事は全部北大の北部食堂、家はコンクリ打ちっぱなしの1K。 そんな最低限文化的な生活。 ベーシックインカムとかいうアイディアがあるらしいけど それが確かに実現できるなら、最低限文化的な生活…衣食住+ネット環境を全員に用意して、 それ以上にもっとお金を稼いで色々やりたい人は 1次産業や2次産業に従事して働けばいい。上手く行けば成金になれるかも。 で、仕事しない人は基本的に趣味として芸術や文化、スポーツに精を出して うまく成功すれば、ボーナスとかお小遣いが手に入るという。 現代版のルネッサンス。パンとサーカス。 自分は悲しいくらい経済に疎いので、きっと詳しい人が見れば 「日本の復興のために宇宙について勉強します」とか言っちゃう鳩山由紀夫さん並に 頭が逝かれてるのかと思うかもしれないけれど…。 (ベーシックインカムとか、経済についてもっと勉強するぞ!) きっとこれが、理想的な「社会主義」なんだろうなーと思う。 社会主義の失敗したことは、国への批判が一切禁止されて、密告やスパイを使って 恐怖でコントロールしたことと、 まだまだ技術や社会システムが未熟な段階で経済を停滞させちゃったことなんだろうなーと これまたカスみたいな知識と脳みそで考えたりするんだけど 現代の情報化社会&ほとんど成熟しちゃった技術があれば、 案外もっと幸せで理想的な世の中になったりするんじゃないかと思うんです。 (念の為に言っておきますが、俺は学生運動は反対だし 社民党員でも共産党員でもありませんし、スターリンも毛沢東も…あれ、玄関に誰かが…) でもきっとそれは、自分があまりにも学生というヌルイ身分に浸かりすぎてふやけてしまったことと 世の中で働くのが怖いし、しかも内定が一個も取れていないせいで頭が逝かれてしまったから なのかもしれませんね。 グラスルーツ 昨日、じゃなかった一昨日、じゃない、日付的にはもう4日前ですが 表参道のアートギャラリーを見る前に、 Moma=ニューヨーク近代美術館のショップを観てきたんですが まぁまぁオシャレなアイテムがいっぱいあって感動したわけです。 でも店内にはオシャレ好きな原宿〜表参道にいるお金もってる若い人ばっかりで あーこういう人ばっかりオシャレになっていくんだなーと またオシャレ格差が生まれるなーと思ったりしました。 あとは、なんで札幌でアートイベントが上手くいかないのか モータースポーツも同じ状況だ、とか そういう事を考えていたわけですが 大きな原因は「グラスルーツ」の欠如にあるのではないかと思うわけです。 なんというか、きちんと草の根で文化が根づいていないのに お金(とくに行政からの補助金やら、メディアとか代理店とか)はもらえるから いきなり国際イベントだー!とか、そういうビッグなことをやってしまうのがいけないのかなーと 思うんですよ。 モータースポーツでいえば、日本ではF1ばかりが注目されていますが 実際にモータースポーツが盛んなヨーロッパや南米では F1だけでなく、ラリーやバイク、ボートレースも盛んで とにかく草レースや草ラリーと言われるアマチュアのイベントが 町のお祭りや町内会の運動会感覚で行われているそうです。 子どもがカートをやるのは、野球やサッカーの少年団に入るのと同じ感覚なのだそう。 特にモータースポーツ国技である王国フィンランドではそれが顕著ですね。 あと、アートで言えばヨーロッパ、特にパリの広場では、 プロアマ問わずたくさんの人が風景画や似顔絵を書いていたり かと思えば露天で自作のアートを売っていて、買う人も金持ちじゃない庶民が まるで生活雑貨を買う気分で、そういうアート作品を買っておうちに飾ったりするわけです。 決して日本のように、アートを買うのがごく一部の金持ちやアートヲタクではないのです。 まるで日本で子どもがおもちゃを買ったり、ヲタクがフィギュアを買ったりするのと同じです。 アートだけでなく、デザイン全般もそうかも知れないですね。 イタリアやフランスみたいなヨーロッパを見て不思議なのが 別に特別金持ちでも、特別デザインやアートにものすごい興味が有るわけじゃないのに どの家庭も部屋の中がなんとなくオシャレでヨーロピアンだし 服装とかもオシャレでヨーロピアンなのは きっとそれが長い歴史の中で文化としてしっかりと定着してるからなんでしょうね。 グラスルーツ=草の根というのは言い換えれば、 文化がビジネスや流行によってではなく 人々にしっかりと根づいているということであって 金を出してボカーンとでっかいイベントをやればいいというわけではないんですよね。 いや、根づいていない文化を根付かせるためのカンフル剤だと 明確に目標を立てれば、それは上手くいくこともあるでしょうが…。 そういった意味で、いま日本でもっともグラスルーツとして上手くいっているのは ヲタク文化、とくにコミックマーケットのような同人イベントやコスプレだったり ニコニコ動画(最近はちょっと落ち目ですが)や2chを代表とするネット上の文化なのかなと 思ったりするのです。 ビジネスのためではなく、誰かが無理やり作った流行ではなく みんなが勝手に見つけて、勝手につくって、勝手に楽しんで、勝手に共有したり 日本が忘れてしまった草の根の文化が、そこにはあるのかもしれませんね。 使い捨て文化 しかし、ビジネスや流行ではなく、文化として根付いている日本の文化というのは 考えてみたら余り無いかもしれませんね。 東京一極集中、満員電車、サービス残業、付き合い、飲み会、有給休暇という都市伝説 お客様至上主義、価格戦争、受験戦争、娘に嫌われる管理職の中年 高校生の乱れる性、援助交際、ニート、無気力な学生、使えない新人、使えない上司 社長のワンマン、新興宗教、負け組=社畜、真の勝ち組=生活保護受給者 ここ最近根付いた文化でいいものはあまり無さそうです。 ところが、かつての日本というのは 世界に誇れる素晴らしい文化がとことん根付いた、 世界が憧れる文化大国だったんじゃないかと思うんです。 「粋」という言葉に集約される日本の合理的で美しい文化。 着物、風呂敷、傘、煙管、茶碗、町屋 相撲、剣道、書道、歌舞伎、能、浮世絵、俳句、神社、寺、礼儀作法… とにかくモノは大事にするし、上下水道の処理も完璧、リサイクル率も完璧。 ネットとウォシュレットがあれば、まさに文句なしの世界ですね。 しかし、あまりにも文化が根付き過ぎちゃって、身近にありすぎて 外国人にそれがいかに素晴らしいか教えてもらう前に どんどんその粋な文化を捨てて外国の文化に乗り換えちゃったことがいけなかったんでしょうね。 大切なモノはすぐそばにあったのに気がつかなかったなんて… まるでラブソングのようですが これが今の日本の使い捨て文化につながるのかもしれません。 いまの日本にがっちがちに根づいているのが あまり良い文化ばかりではなさそうだとは先ほども言いましたけど その中でもいま一番困りモノの文化が「使い捨て」の文化なんじゃないでしょうか。 さすがにエコロジーの時代なので、 かつてのようにモノをどんどんと使い捨てていくことは減りましたが それでも精神の根底に「使い捨て」の文化は未だがっちりと根づいているように思います。 流行というモノがまさにそれで、毎年のように服を取り替えていくのは変わらないし 車検ごとに新車に乗り換える人も、だいぶ減ったとはいえまだまだ多いのでしょう。 日本人の新しいもの好き、流行り物好きは、すなわち使い捨ての文化とも言えるんでしょうね。 例えば政治もそうで、根本にもっと解決すべき問題がありそうなのに とにかく「責任」という言葉を言い訳に、どんどんと首相を「使い捨てていく」のは ちょっと他の国では見たことがありません。 そして、最近特に目につくのがコンテンツの使い捨てです。 新しいゲームやマンガ、テレビ番組、音楽はどんどん生まれて、そのたびに 本当に自然発生なのか怪しいブームがメディアで騒がれますが ここ最近は、最初から使い捨てられるのを前提に作られているコンテンツが多い気がします。 例えば音楽で言えば、美空ひばりや坂本九、石川さゆりやユーミンのように 誰からも愛されて、誰もが知っている名曲、というのはここ最近あまりないかもしれません。 (ACのぽぽぽぽーん♫くらいでしょうか) アイドルだって、ピンクレディーやモーニング娘。SMAPやTOKIOのような 誰もが長く覚えている国民的アイドルというのは、近頃なかなか見かけません。 AKB48やEXILEはまだしも、少女時代と東方神起は来年にも忘れてしまいそうです。 テレビ番組でも、視聴率が低いとバンバン打ち切りになっては、名前が違うだけで やってる内容や程度の低さはそのままの新番組が生まれては消えて、 このままではテレビという存在そのものが消えてしまいそうです。 自分が子供の頃は、テレビはこんなに使い捨てじゃなかったなー。 逆に今でも話題にのぼる=記憶に残ってる番組って結構ありますよね。 古畑任三郎、踊る大捜査線、ウリナリ、笑う犬… とにかくまぁ、前にもブログに書いたような気がしますが いいものをきちんと作って、それが流行を生んで、流行が落ち着いたあとも 本当に好きなファンがもう一度、DVDやCDなんかを買ってお金を払ってくれる。 上手く行けば、海外でも売れるかもしれない。 かつて、日本のコンテンツはこういう耐久消費財的な流れを持っていたのに いつのまにか どうせ使い捨てだからとお金をかけずに、人気のアイドルを使ったりして適当に作ったものを、 無理やり流行を捏造して、そもそも流行なんか無いのにゴリ押しして、 思ったよりも消費者は賢くてゴミには全然金を出してくれない。再販も海外への輸出も出来ない。 で、名前とか小手先の見た目だけをでっちあげて繰り返し、余計悪化する。 こんな使い捨てが前提になってしまった日本のコンテンツは どんどんと悪いスパイラルに飲み込まれていって 最後には惨めな死が待っているのでしょう。 いや、かつてハリウッドの映画なんかもこのスパイラルに半分飲まれていたように思えますが いまは無事にそこから脱したように思います。 ダークナイトやトイ・ストーリー3と、アマルフィと借りぐらしのアリエッティを見比べれば きっと明確にそれがわかるのではないかと思います。 この使い捨ての怖いところは それ自体の質がどんどん落ちて行くことで、後世に残らない=財産にならないこと 作る人、関わる人の経験値がたまらない、人が育たないこと 質の悪さにお客さんが信用を無くしてしまうこと=いいものも売れなくなる この3つがあると思います。 こう考えると、政治とコンテンツの抱える問題は 実は同じところにあるのかもしれないなーと思います。 「最近テレビがつまんないから見ないー」「政治家はみんな糞だから信用も期待もしない」 という意見は、結局は使い捨てに対する消費者の明確なNOという意味で 全く同じことなのかなーと思います。 そして使い捨てを続けているということは いつまでたってもそれが定着しない=文化が根付かないということに繋がるのでしょう。 きっと文明開化の時に西洋にかぶれすぎなければ 今頃はクールビズなどと言って、みっともなくノーネクタイで過ごすのではなく きちんと根づいている着物文化を元に 浴衣に下駄、扇子に風呂敷で、東京のビル群でお仕事をするという 最強にかっこいい「クールビズ」が根づいていたのでしょう。 そして仕事帰りにボーリングや、休みの日にゴルフではなく 剣道や流鏑馬、弓道や茶道、坐禅、書道などを嗜むという、外国人から崇められる 「美しい国」になっていたのでしょうね。 で、住む家は全部和室で、掛け軸とふすまと縁側と庭のある日本家屋。食事は全部和食。 こうやって書くとバカバカしいと思えるかもしれませんが ヨーロッパはまさにこれを実際にやっているわけで 例えば着てる服は、中世ヨーロッパから少しずつ改良を重ねてきたもので 襟付きのシャツやスーツなんかは、もう200年くらい形が変わってないわけです。 で、スポーツもアートもデザインも、全部元々持っていた文化を 今にいたるまで大事に大事に、少しずつ改良しながら持ち続けてきたから 日本からみるとものすごくかっこ良く、おしゃれに見えるのでしょう。 かつて300年もの間、日本が、江戸の安定した政治のもと 大切に守られつつ、ゆっくりと少しずつ改良されながら、「粋」という領域に昇華した 美しい国:日本の文化。 しかし、日本はそれをごっそり捨ててしまってから まるで呪いにかけられたように、いつまでも文化の使い捨てをやめられずにいるのです。 「理想的な社会主義国家」と言われるように みんな揃いもそろって同じように狂ったように働いて、 みんな同じように、どうせすぐに使い捨てられる幻のような流行を追いかけて いつまでも文化がしっかりと根付かないのかもしれません。 ただ、不況のせいか、はたまたインターネットのせいか その呪いは少しずつ溶けてきているように思えるのは自分だけでしょうか。 最後に、その呪いから解かれて 使い捨てではなく、後世にも残り 根付いていきそうな予感のする文化をご紹介したいと思います。 誰が読んでるかもわからず、クソみたいな駄文を チュンチュンと小鳥が鳴き、空が白くなってきている今まで 4時間もかけて書くという、まさに時間の使い捨て。 まず先に解かなきゃいけない呪いは 自分の「大学院生」という糞の役にも立たないニートとほぼ同義の肩書きで 一刻も早く自分は時間の使い捨てをやめて、社会に「根付く」べきなんでしょうね。 きっと社会に出たあとこのブログを読み直したら 「なんて甘ったれてるんだこいつは」 「こんなんだから、会社でうまくやってけねぇんだよ」 「あーあ、もっと暇なときに色々やっておけばよかった」 と思うんでしょーね。 おやすみなさい。というか、おはようございます。
by hiwai-rs
| 2011-06-09 05:01
| 日記
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