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今日は母校である札幌市立大学に久しぶりにおじゃまして
先生方と、色々と相談してきました。 就活のこと、ベルリンのことなど…。 3人の先生とお会いでき、お話ししてきました。 で、先生方のいうことはだいたい同じで、 ただの「自分探しの旅」とか「モラトリアムの延長」はダサいので ベルリンに行くならきちんとやりたいことを決めてから行きなさい、ということ。 そして、学歴とか就活とかは考えず、映像の勉強したいなら 大学に入らないで、ワークショップとかに参加するだけでも きっと成長できるんじゃないかということ。 そして、まぁとりあえずは留学とは言わず 3ヶ月くらいパーッと遊びに行って色々見てこいよ!って感じでした。 そんなわけで、もう恐らく今年内定とるのは半ば諦めていて 先ほど並河靖之の七宝焼きのテレビを見ながら母にも正直にその旨を伝え 母にも就活の厳しさや、休学の件を分かってもらえたようです。 さて、自室に戻り ベルリンに行く準備や、両親へのプレゼン資料をつくろうと思っていたところ 一通のメールが…。 絶対に通過しないと思っていた 某広告代理店の1次選考の通過と2次選考のお知らせでした。 嬉しい、というよりも怖いです。 今月末にまた東京に行くことになりました。 そして、それまでに3枚のエントリーシートを死ぬ気で書くことになりました。 うち一つはゲームの企画書も一緒に提出です。 ジムニーの整備する時間はあるのかしら…。 さすがにキングピンのオーバーホールは工場にやってもらうか。 とりあえず明日は、シートの交換と屋根の内張りと シフトレバーの付け根の修理だけやってしまおうと思います。 本当は、昨日の予告をひとつ消化するはずだったのですが 色々と疲れたので寝ます。 でも、今日やらないと明日もあさっても出来ないのでしょう。 そんなのイヤだ!!!!!!! なのでちょっとだけ。 昨日書いたパルサーとランサーのタラレバ案ですが 要するに悲惨な結果を知っている今だからこそ、あの時もっとこういうマシンにしていれば もっといい成績が挙げられて、日産と三菱が撤退することもなかっただろう という自分なりの妄想です。 改造範囲の狭いGr.Aなので 市販車の段階で必要な要素を盛りこんでおかないと あとから弱点に気づいても改造できないのです。 パルサーGTI-Rは当時最強を誇っていたランチア・デルタをパクって作られた 小さいハッチバック+無理やり4wdターボを組み込んだマシンです。 しかしタイヤの収まるスペース…タイヤハウスが小さく、 エンジン真上というインタークーラーの位置も災いしてパワーが出ない&オーバーヒート さらにはフロントばかりが重すぎてバランスが悪く、全く成績が出ずに 日産はたったの2年ラリーから撤退しました。 ただ、寒いラリーではちゃんとインタークーラーも冷えてパワーが出まくり 日本国内やGr.Nで活躍していたこともあって 本来のポテンシャルは高いマシンだったと聞いています。 そんなわけで、対策すべきはタイヤハウスのサイズと インタークーラーの位置だけだったとも言えますね。 すべての元凶であるインタークーラー。 理想的な位置であるラジエーター前は、コスト的に厳しかったのでしょう。 ラリーということで、配管を短くしてレスポンスを狙ったのかもしれません。 だからこそエンジン上というあんな馬鹿馬鹿しい位置においちゃったわけで。 コストを掛けずに、いい感じに風を当てて、エンジンルームの空気の流れも良くなる位置… 一つは、S13みたいに左タイヤ前、バンパーの裏に設置すること。 これならいい感じに空気も当たり、配管もそんなに長くならないでしょう。 もう一つ、一番現実的なのが 本来バッテリーのあるエンジン横、ミッションの上に置くこと。 エンジンの真上と大して変わらないけれど、ボンネットの上から空気を取り込んで 下に出すときに、エンジンよりは抜けがいいだろうという予測が一つ。 それよりもっといいのが、シトロエンのWRカーみたいに傾斜して配置して フロントからエアを取り込んで、ボンネットの上に熱を逃がす方法。 シトロエンとは違って、バッテリーの位置になりますが 恐らくこれが最も効率良く、しかもコストの掛からない配置方法でしょう。 (バッテリーを移設出来ればの話ですが…) タイヤハウスは、無理やりぶった切って、オーバーフェンダーつけるしか無い。 幸いなことにパルサーは3ドアなので、リアフェンダーの加工も難しくないはず。 何とかして、履けるタイヤのサイズをより大きく、サスのストロークも長くしないとね。 GT-Rのように洗練されてはいないけれど、Gr.B時代の240RSも無骨なオーバーフェンダーでしたし ラリーだからいいんじゃないですかね笑 ランチアはしたたかにどちらもきちんと対策済みでした。 しかし正直なところ、ハッチバックに無理やり4wdターボを詰め込んでいるのはやはり無茶で マシンではなくチーム力で勝利を重ねていたのだと聞いています。 サインツがプライベートで参加した93年にクソみたいな成績しか挙げれなかったのが良い証拠です。 そう考えると、そもそもパルサーをベースにするのではなく S13のシルビアでもベースに4WDにして出すのがベストだったのかもしれませんね。 タイヤもでかいのはけるし、同じシャーシのセフィーロには4WDがあったので十分ありでしょう。 日産の撤退後、フォードから縦置きエンジンのクーペ、エスコートが出たことを考えると 参考にするのがデルタではなくエスコートだったなら、時代も変わっていたんだなーと思います。 もう一件、三菱より。 特にエボ4からはライバルが自由度の高いWRカーという規定にもかかわらず 改造範囲の狭いGr.Aにこだわったランサーエボリューション。 それでも、市販車の段階でWRカーでは禁止されているパーツを組み込み それを平気で一般人に売ってしまうという、Gr.Aの旨みを活かし 三菱の開発陣の必死の努力と、エース:トミ・マキネンの活躍で なんと99年まで4年連続ドライバーズチャンピオンを撮り続けていた三菱ですが その後ガックリと成績を落とし、ついには未勝利のまま撤退に至るのでした。 結局このランエボも、一番弱点はリアのタイヤハウスの狭さとサスのストローク不足。 特にセダンはリアフェンダーをいじるのが難しいのです。 そこで考えたのがこれです。 ミラージュエボ。 一部のファンの間では勝手に作られるほど、誰もが考える組み合わせ。 リアのドアがないおかげで、リアのタイヤハウス拡大が容易に出来たでしょう。 これだけで、十分WRカーと渡り合えたはずです。 これに加えて、フライホイールをギリギリまで軽くして ボンネットやリアハッチをFRPにしちゃうとか、 WRカーには付けれない豪華パーツを載せまくればいい。 現に特例で規定を緩くしてもらって フライホイール軽量化と、リアのタイヤハウスを拡大しただけの2001年モデルが 驚異的な速さを見せていましたから…。悔しい限りです。 もう一つ、可能性があったのがFTOエボリューションですね。 実はラリーベースマシンとしてランサーベースだけでなく FTOベースの試作車も対抗馬として作られていたのをご存じの方もいるかも知れません。 結局はフロントサスのロワアームの設計が決め手で ランサーベースが社内コンペで選ばれ、ご存知ランサーエボリューションが生まれるわけですが 本当に偶然、FTOの方が選ばれなかった、ということなんですね。 もしFTOベースになっていたら…? どうせクーペだし、もっとカリカリのチューンが出来ていたかも。 そもそもリアのタイヤハウスも大きくとれていたはず。 まさに時の運ですね。タイミングやちょっとした要素で 時代は大きく変わるのだと、今振り返って妄想をすると感じます。 僕の人生は、あとから「もっとこうしておけば…」という タラレバの発送ばかりしてしまうようなものにならないようにしないといけませんね。 あとから後悔しないよう、目一杯いま頑張るしかないということなのでしょう。 堕落した生活から抜けだして、ひわいエボリューションになれるよう どんどんチャレンジしていこうと思いました。 ではではみなさんごきげんよう。
by hiwai-rs
| 2011-05-17 02:49
| 日記
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